葛城の東側にある纏向からは夥しい土器片が出土するが、最も多いのは尾張系土器であった。
そして、祭祀具としては吉備系のものが多く、邪馬台国連合は纒向を中心にそのまま原ヤマト政権を築いた可能性があり、その中心勢力は吉備や尾張だった。