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603 days ago
【かいわいの時】明治三十六年(1903)3月7日:大阪市内の河川に巡航船開業。
大阪市中をめぐる河川・堀川を、交通手段として利用する考え方は早くから芽生えており、明治29年および35年に民間からの巡航船就航計画が起こされる一方、第5回内国勧業博覧会(明治36年)を視野に入れた、市営水上機関創設計画案が、明治35年5月の市会に提出されました。この案は、石油機関船32隻をもって、天満橋(大川)~国津橋(古川)間、および東・西横堀川~道頓堀川に運航する案で、「本案は事業小にして収支相償ふべくもあらず、且つ市営としては好果を収め難し」として否決されたが、民営の「信用確実なる者を選び相当の報償計画を締結」することを条件に計画案が再浮上しました。そして、明治36年1月に大阪巡航合資会社を設立、内国勧業博覧会開催に合わせた同年3月7日、石油発動汽船4隻をもって、新町橋~湊町~戎橋~日本橋間で営業を開始しました。報償契約は、企業者が、指定航路における事業の独占的運営が認められる報償として、事業総収入の一部を大阪市に納入するもので、大阪巡航船の場合は当初6%、明治39年以降は10%と定められました。この制度は、地方自治体におけるわが国最初のものでした。創業時短距離であった大阪巡航船は、その後、道頓堀川~東・西横堀川~土佐堀川~木津川~西道頓堀川を一巡する航路に拡張、39年には、後続の浪速巡航(株)を合併して大阪巡航(株)に改組し、航路を堂島川~安治川に伸ばし、船数82隻、1日平均乗客数は、約2万人(明治40年)に達しました(大阪市)。
写真は、鍋井克之「天神橋と淀川蒸気」(『大阪繁盛記』1960)。主題は明治時代に淀川を行き来した川蒸気(右端)ですが、天神橋のたもとには巡航船らしき船が4隻描かれています。

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