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1053 days ago
【かいわいの時】天平勝宝六年(754)一月十六日:唐僧・鑑真、難波に来着。752年、必ず渡日を果たす決意をした鑑真のもとに訪れた遣唐使藤原清河らに渡日を約束した。しかし、当時の玄宗皇帝が鑑真の才能を惜しんで渡日を許さなかった。そのために753年に遣唐使が帰日する際、遣唐大使の藤原清河は鑑真の同乗を拒否した。それを聞いた副使の大伴古麻呂は密かに鑑真を乗船させた。11月17日に遣唐使船が出航、ほどなくして暴風が襲い、清河の大使船は南方まで漂流したが、古麻呂の副使船は持ちこたえ、12月20日に薩摩坊津の秋目に無事到着し、実に10年の歳月を経て仏舎利を携えた鑑真は宿願の渡日を果たすことができた(『ウィキペディア』より)。写真は「鑑真和上東征絵伝」(唐招提寺蔵)部分
当時、難波津周辺には外国からの使者をお迎えする使節として難波館(後の鴻臚館)と呼ばれる迎賓館がありました。鑑真和上もこの館にお立ち寄りになったとみて、まず間違いないでしょう。鴻臚館(平安時代)は、承和十一年(844)に摂津国国府の政庁に転用され廃止されたとの記録が残っています。古来より、国府の所在地=国府町が転じて石町となったという言い伝えがあり、その場所は堀江(大川)端の高台、すなわち現在の北大江公園~中央高校あたりと推察されています。1990年には、中央高校(当会オフィスより東50m)建設中に、七世紀後半から九世紀初頭にかけての建物遺構が発見されており、難波宮の中心部で用いられたものと同笵の瓦「神功開宝」が出土しています(千田稔「埋もれた港」による)。

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