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1200 days ago
カメラ片手に北海道へ
函館市内散策スナップ 武田斐三郎(たけだ あやさぶろう)の像
五稜郭タワー内にあります。
人物紹介もありますが、こちらに詳しくでています。
http://kotobank.jp/word/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%96%90%E4%B8%89%E9%83%8E
朝日日本歴史人物事典の解説.
生年: 文政10.9.15 (1827.11.4) 没年: 明治13.1.28 (1880)
幕末明治期の洋学者。名は成章,斐三郎は通称,号は竹塘。伊予大洲藩士武田敬忠の次男。幼時藩校明倫堂に学ぶ。嘉永1(1848)年緒方洪庵の蘭学塾で医学修業中に西洋兵術に関心が移り,3年江戸に出て佐久間象山の西洋兵学塾で砲術,築城,航海術を身に付け,6年象山の推挙で幕府に出仕,プチャーチンとの交渉に向かう川路聖謨らの随員として長崎に出張,翌年聖謨の推挙で蝦夷地視察に向かう堀利煕の随員となり樺太まで視察。その後箱館奉行が置かれると,外国人応接および国防の要員として箱館詰となる。安政3(1856)年には,箱館港防備のための弁天崎台場,翌年からは箱館奉行所としての五稜郭の設計監督を務める傍ら,語学,航海,築城などを教える諸術調所を開き,箱館奉行所御用船亀田丸を指揮してロシアのニコラエフスクまで交易に出掛けるなど実践を重んじた教育を行う。
元治1(1864)年開成所教授に転じ,のち砲兵頭,ナポレオン砲の国産化にも成功した。明治4年兵部省に出仕,のち兵学寮の兵学大教授となり兵学寮幼年学校長を兼務。<参考文献>白山友正『武田斐三郎伝』,高須賀康生「武田成章」(『愛媛の先覚者』)
外国の攻撃に備え、西洋の城を参考にして造られた五稜郭であったが、皮肉なことに国内戦争の舞台となり、その役目を終えることになった。
今は、城内に箱館奉行所が復元されている。

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