中華民國54年「初版」『世界地圖集』第1巻(1965年=昭和40年)掲載「琉球羣島圖」
地図の左下、「中華民國」の字の右側に日台両国の国境線が引かれている。そして、国境線の右側 ── 詰まり日本側に、彼等呼ぶ処の「釣魚台列嶼」や「釣魚島」では無く、日本側呼称である「尖閣羣島」(尖閣群島)の四文字がはっきりと見て取れる。これは当時の台湾政府が、尖閣諸島を日本領であると認めていた紛れも無い証拠である。因(ちな)みに、『世界地圖集』の編者は蒋介石総統の秘書で、教育部長(教育相)、中国国民党中央常務委員等の要職を歴任した国民党の重鎮・張其昀氏である。