ただ、集合知も謙虚さを欠くと、暴走する群衆になりかねない。絶対に忘れてならないのは、どんな賢明な人間も全体を見通す視点には立てず、限定的な認識しかもちえないこと。推定無罪の原則にこだわるのも、そのためです。我々は誰でも間違いうる。だから、疑わしきは、罰せず、なのです。